新ナエトルログ

旧ダイアリーからの移行なので「新」なのである

英語表現の講義に用いた英文の訳

英文はあまりにも恥ずかしいので載せられないので訳に注を加えてみる。
原文はどんなだったか予想してみて下さい。

訳文

現在、津田沼習志野市の一部である。かつては、津田沼は谷津・久々田・鷺沼の村からなっていた。
20世紀初頭、鉄道第二連隊が谷津の辺りにあった。第2次世界大戦が終わってからは、連隊は廃止された。
演習線は新京成線になった。連隊の正門もまた残された。現在の千葉工業大学第1通用門である。
1970年代の終わり、商業施設が次々と開業した。流通業界ではこれを「津田沼戦争」と呼んだ。
一方、1986年3月には新習志野駅が茜浜で開業した。その次の月、千葉工業大学芝園校舎が開設された。
時は過ぎ、イオンのショッピングセンターが新津田沼駅前に開業した。
イトーヨーカドー新津田沼駅前の「新京成電鉄 津田沼12番街ビル」で既に営業している。
業界では「第2次津田沼戦争」勃発かと思われたが、2005年11月30日にダイエーは閉店した。
そして現在ダイエーのあった建物は改装され、モリシア津田沼と呼ばれている。
千葉工業大学では、新1号棟が2008年8月に竣工した。そして、新2号棟が2010年度に完成する予定である。

注訳

津田沼
現在は習志野市の地名であるが、習志野市が市制する前は津田沼町であった。
また、1903年津田沼町成立時に津田沼という町名は、訳文中にある「谷」「久々」「鷺」から太字の部分を取った。
鉄道第二連隊
1908年に津田沼町谷津2(現在の津田沼1丁目・2丁目、谷津1丁目・7丁目)に鉄道第三大隊が新設、その10年後に鉄道第二連隊に昇格する。終戦直前に主力部隊が九州に移転した。
千葉工業大学第1通用門
登録有形文化財(建造物)12-0007。JR総武本線津田沼駅南口から東方向に伸びる線路沿いの市道に面する門。通称「工大の煉瓦門」。
ちなみに千葉工業大学津田沼校舎正門は市道まろにえ通りに面するほうである。
津田沼戦争
西武津田沼ショッピングセンター(現・津田沼パルコ)の西武百貨店とパルコ、イトーヨーカドー津田沼店、サンペデックのダイエー(現・モリシア津田沼)の3陣営で1980年代に繰り広げられた客の取り合い。
1990年代にはイトーヨーカドーダイエーは全国トップクラスの売上高になった。
イオンのショッピングセンター
2003年10月4日にオープンしたイオン津田沼ショッピングセンターナエトルログでは後述のモリシア津田沼との区別のため、「ジャスコイオン津田沼ショッピングセンター店」と表記することがある。
津田沼12番街ビル
ここに限らず、新津田沼駅周辺は新京成電鉄が所有する土地が多い。
モリシア津田沼
2008年3月13日にオープンした複合商業施設。前身はサンペデック。ナエトルログではイオン津田沼ショッピングセンターとの区別のため「イオンモリシア津田沼店」と表記することがある。